独り言

きままに思ったことを書き残すところです。

賢者は弱みを内に押さえ込む。それ故に孤独だ。
仁者は他者の弱みを聞き、包む。それ故に孤独だ。
勇者は弱みを振り払う。それ故に孤独だ。

よく、したり顔で『自分なら〜』などと人の事件で語る者がいるが、その者の立場になれぬ者が
そのような行動の選択に追い詰められる訳がない。よって唯自らの恥を晒しているに過ぎない。

ただ不満を述べるのは我侭である。
ただ相手を責めるのは苦情である。
心にもない賞賛を述べるのはお世辞である。
相手の向上、改善を求め不満点を敢えて述べるのは批判である。
良き点を認め悪き点を正そうと述べることこそが評論である。
本当の評論に出会うことは、この世知辛い世の中、中々ない。

本能は仮初の快楽を与える。
理性は生きる苦痛しか与えぬ。
しかし真の喜びは本能の中ではなく理性の奥深くに眠っている。

夢があり、そこに向かうものは不満を語らぬ。希望を語るのみだ。
空想を語るものは不満しか語らぬ。

夢はいつか必ず、形は違えど実現する。
要はそこまでの道が遠いか近いかでしかない。

狂気と恋は似ている?違う。恋そのものが狂気なのだ。
愛は盲目ではあるが狂気ではない。喜びも生み出すだろうし人の感情のあるべき一つさ。
ただ、僕は人を愛せない。盲目になれないからね。

※恋と愛は違うという有り勝ちな話。

死そのものに思いを巡らす前にそれへのプロセスを考えなきゃ。
そうしないと死というものの本質は見えてこない。
もしその本質が見抜けた時君は死そのものへ恐怖するのではなく死が生む何かに恐怖するだろう。

本を読め、本を読め、と煩い者がいるのです。
書物というのは能動的に接せねばならぬものなのに何故そんなことを言うのでしょう?

※嫌々読むのは文字の羅列読んでるのと大して変わらないという話。
  だって奥深い作者の意図なんか、読もうと思って読まねば分かるはずないでしょう?

結局、幾千の書物を読んでも仮初の経験である。
それ故にたった1つの実経験がそれを勝ることもある。
それが人生の面白ささ。

※偉い学者先生より汗水働いている人の方が解っていることも沢山あるでしょ?、という話。

知ることと識ることは別物だ。
両者にはただ知っているということと、それがどのようなものか思索したことがあるものだということ、
という決定的な違いがある。

自分で道を歩けるなら他人なんて人生劇場のエキストラさ。
しかし、それが出来ぬから他人はヒロインにもライバルにも友人にもなる。

幾多の知を積んだだけでは、幾多の験を積んだ者には勝てない。それは智者である。
幾多の知を持ち幾多の験を積んだ者、それこそが賢者である。

受動は仮初の楽しみを多量に生む、苦痛は少ない。
能動は多量の苦しみと真の楽しみを一つだけ生む。
どちらがいいかは人次第だ。

不安定な生物が不安定な社会で不安定な子育てをする。
これほど不安定なことはないのは自明の理だと思うが?

※近年の事件の酷さに少し憤りを感じて。
  人が人を育てることがどれだけなことか弁えて覚悟せねば、その先に待つのは暗雲でしょう。

何かをするということは必ず誰かを犠牲にするか、救うかである。
仮に一人でも救えたならその人生は無駄ではないだろう。
そのどちらが多いかで讃えられるか、後ろ指差されるか、する。
それだけなのである。
けどそれを決めるのは自分自身さ。
自己を肯定するも否定するもね。

※人生に意味を見いだせなくても何かやったと思えたり自分はあるべき存在だとか、
  結局生の実感が出来れば無駄じゃない、という話。
  ついでにいえば、存在否定なんてことは自分以外やっては駄目だし意味がないという話も言外に少し。

本当の善きことを起こすのには理由はない。
理由が要るのはそれ以外のものに他ならない。

※偽善にも理由が要ります。完全な善行は難しいな、って話。

損得で行動するだけなら感情がないのと同じ。つまり機械だ。
それが出来ないから人間なのだ。

一日の終わりに今日何が出来たか、今日何が昨日と違ったかを一つだけ言えるようにする。
それだけで日常は大分変わる。

この世に偽りなどない。それらは全て言葉の中で"存在"しているのだから。
この世に真実などない。実を持つものなどないのだから。

幸せとは実感しなければ存在しない。
実感してしまえば何もかもを幸せにすることも出来る。

※言葉にするのは簡単だけど実際にはお分かりの通り難しすぎる。

人の価値はそれぞれ違うのだ。
しかしそれを量る秤がないから思い込みで決め付ける他ない。
何故秤がないか?簡単だ。価値の単位が違うからだ。

※人それぞれ違うのは間違いないけどその違いゆえに比べることは出来ないよねという話。

知の道を進むことは永久の枯渇を意味する。

普通を喜ぶ教育は天才という異端、英雄という異端、偉人という異端を何一つ生まない。

理想論だの夢だの言うけどさ、それは可能となった時ただの出来る事に成り下がる。
そうだろ?

身の程を知っている者は出来ぬことはやらない。
愚者は出来ることすらやらぬ。

思いで出来ることは意外と多いものだ。
愚者や馬鹿を賢者にさえする。

弱音を吐くのは思いが足らぬ証拠だ。

思い込みはその者を決める。
偉人にも屑にも。

言葉にするのと行なうは違う。
行動をするのに必要なものは並大抵のものではない。

向上したくば思考を止めるな、諦めるな。

結果を残す人と残さぬ人の差は何か。”実行”するか否かだ。

物事を多角的に見ること、それが賢く生きるのに必要なことだ。

疑え。盲信による支配からの脱却、つまり自立とはそこから始まる。

今という時ほど大切なものはない。人はいつ命を落とすのかもわからぬのだから。